勉強する際に、「暗記」すべきことと「理解」すべきことと、ある程度分ける必要がある。たとえ、同一教科内であっても、両者の区別が重要となるケースは 多々ある。例えば、社会は一般的に暗記科目のイメージが強いですが、理解すべきことも少なからずある。
「学習塾の過剰サービス」という言葉に対して、どのようなイメージを持たれるだろうか。「塾のサービスの質と子どもの学習成果は必ずしも比例しない」ということは、 軽視すべきではない。塾が供給過剰な状況下で、 「他塾と、提供するサービスの質で差別化を図らなければならない」と各塾が意気込むのも無理はない。
サービスの質自体が十分なレベルにない塾は論外であるが、 ただ供給者側の指標で質の向上に励んでも、意味がないこともある。塾のサービスの質を高めれば、通っている生徒の満足度が高まるとは限らないし、上記のように、学習成果が保証されているわけでもない。
塾側が、生徒にとって良かれと思って向上を図るサービスが、実は生徒や保護者が望んでいるようなものではないというケースは決して少なくない。ただ、塾が提供するサービスの質の低さがクローズアップされることはあるが、このような「目指しているベクトルのズレ」はあまり問題視されていないのが現状である。
「子供のためになっているか」を、塾より保護者のほうがわかっていることも 往々にしてある。 「勉強面」 に限っても、そうである。 保護者よりも学力自体劣っている講師が多く存在するような塾や、家庭よりも子供に適した勉強法について把握できていないような塾は残念ながら一定の割合で存続しているが、このような型は淘汰されてしかるべきである。
勉強する際に、「自分でできること」と「そうでないこと」 を峻別する必要が ある。 子供も保護者も 「何でもかんでも塾で教わる」 という姿勢を取ってはならない。 例えば、 「塾の講座選び」の際、必要以上に受講しようとしていないか保護者も改めて考えることが不可欠である。
まず、「自分でできること についてはわざわざで教わる必要はない。 一方、そうでないこと」に関して、子どもが独力でできないことでも、家庭で親ができることは少なからずある。 上記のいずれにも該当しない場合は、塾で教わればいいのである。 「暗記」に関しては、暗記の仕方さえ確立させれば、ほとんど自力でできるといえる。
一方、「理解」について、理解できないことは、意地を張って独力でやろうとしても意味がないし、時間的ロスも多く発生してしまう。理解できないことは、決して恥ずべきことではなく、素直に教えを請えばいいのである。
上記のように「自分でできること」はわざわざ教わる必要はないが、「そうでないこと」については、積極的に「塾」というオプションの利用を検討すべきである。